恩師受け継いだことども…

   
わたしはコンピューターをはじめるにも・・・ また少年期、絵をはじめたときも・・・
先輩たちに助けられ…恵まれた環境で生きてきました!!!

高校の美術の先生、福宿(ふすき)光雄先生との「めぐりあわせ」に
今日のJIJIが有ります。
戦前〜戦後まで、浦中浦高にわたり、在職…
春日部高女の校長になり、退官されました。

先生は雅号を 「いっすい」 と云い、世の中で言う「無名画家」ですが、教え子の
才能をみいだし指導した、最高の教育者だったと思います。

とかく、の才能のある生徒にばかり、目をむけがちの美術の先生が、広い視野で先徒を指導。
… ポッポ屋(鉄道技師)を育てたり、天文学者を産んだり…、日本の宇宙ロケット
開発の草分けを出したり… 医者・学者を育てたりしました・・・ 

美術芸術の分野でも、そうそうたる教え子達が揃いました。
彫刻家:吉野康彦(亡)・岩田聡、洋画家:芸術院会員高田誠(亡)・仝芸術院会員渡辺武夫(亡)・
近藤正史(亡)小松崎邦夫(亡)・臼井喜一(亡)・長田良夫・宮下勝之・斎藤梅・小川遊・
図案家:杉田豊・月岡良太郎・手嶋有男(染色)、工芸家:人間国宝増田三男(亡)・黒木章(亡)・・・
下写真、後列中央白セータが、紅顔のJIJIです。
中央・福宿先生の右が、人間国宝増田三男先生、その右、芸術院会員高田誠先生。



みんな、福宿先生薫陶をうけた… 兄弟子・弟弟子です・・・
高校で、人間国宝に成られた増田三男先生に工作を教わり・・・
芸術院会員に成られた高田誠先生に
絵の、アドバイスを貰えたのです・・・!!

1年に一回、「連穂会れんすいかい」と云う先生を囲む懇親会で議論もしましたが・・・
何故か高名になつた先輩と投合出来なかった自分を感じます…??

増田三男先生が、「芸術院会員位に成らねば価値がない…」みたいな事を云ったのに
反発して、『芸術院会員ナンテ・・・』 といって、殴られた想い出も有ります。
先生は初志をつらぬかれ、人間国宝に成られました。

兄弟子・兄弟弟子達が高名になったのに、サラリーマンの道を歩いた、オチコボレの辞
思い出を綴りました。。。

芸大生活でも、わたしは、安井曽太郎先生、寺田春壱先生、林武先生に巡り合いました。
芸大生活の、青春の思い出が二つあります・・・

 デッサン教室に安井先生が廻ってこられた時… 青年のJIJIは、木のデッサン椅子から
直立…先生を迎えました。
安井先生が、JIJI青年の椅子に座り、デッサンを観て下さいました・・・5分〜10分…
じっと手をかざしたり、反り気味になったり…
後ろに直立している、JIJI青年は、否応無しに自分の悪いトコがみえてきます・・・
一介の学生の絵でも丁寧に見る… そして 「良くみる」 ことを学んだ気がします・・・

 安井先生が退官し、林武先生とも巡り合いました・・・
同じく、油絵(裸婦油彩)を描いていたとき… 林先生が、JIJI青年の裸婦をしばらくみて・・・
ポツリ… 『地球が描けてない・・・???
今にして想うと…雰囲気・重力・・・もろもろを含めて、大自然のなかの存在について
観(み)ることを指摘されていた事に気づくのです!!!

すべてを通して、JIJI青年の、最大の 『恩師』 は、わたしをおだてて?この道へ
導いてくれた…福宿光雄先生であり、JIJIが雅号 「清郷」と名乗る所以です・・・



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