TBS特別企画”99年の愛”を見ました。
アメリカに移民し、酷い差別の中で、道を切り開いた、
日本人家族と日本の歴史のテレビ・ドラマです。
父も若い頃、アメリカで青春を過ごしたのですが、
さぞ、人に言われない苦労を、したのだろう?と想像しました。
滞米の想い出を、何も語らなかった父でしたから、、、
油彩6号<吾が父>
父・務を偲ぶ・・・
父は95才で亡くなりました。
酒もたばこも飲まない、ガチガチの教育者で…
太平洋戦争前、青山学院の 「栄養学」の先生でした…
幼いわたしに「釣り」を教えて呉れたのも父でした。
写真右が若き日の父
進駐軍が来た時…アメリカの大学卒(コロンビヤ大学)の父は、
呼び出されて、青山学院を辞め進駐軍関係の仕事に就きました。
私たちのため働いてくれた…そのお陰で、
私達家族は、戦後の食料不足にも、
ほとんど食べ物に不自由しないで済みました。
その代り、職を辞めても一般並の年金の対象外で、、、
晩年、大学(駒沢短大)に再就職し…
亡くなる少し前まで働きずめで、
楽は味わわず… 一生を教育者で終りました。
父の若い頃の夢は、「ホテル経営」…であったようです・・・
わずかに、聞いた父の想い出話に
漁師のアルバイトまでして、苦学したようです・・・
日本の親に仕送りをして家計を助けたと、叔父義一に聴きました。
嫌な想い出だったのか?苦労話は何もしませんでした。
大志を抱いて学んだけれど・・・子供のための、一生でした・・・
わたしの、まがったことの嫌いな性格は、
父から受け継いだようです・・
今の父親達の、
変な「物分りの良さ」など微塵も無い…父が好きです!!
昭和51年8月6日歿 享年:94才
TBS特別企画”99年の愛”を見ました。 人種差別も、何も語ろうとしなかった、父の苦労が 偲ばれます。 合掌。。。 |
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