se-10      入社試験



JIJI青年は父親が自立しろ と言うので就職することにした。
多分?学校の教務課に案内がきてたのだと記憶するが、クラス相棒のくんと、3社を受験した。

もう、何十年も昔むかしの、時効のお話だから会社名等も明かす・・・

試験内容は忘れてしまったが、確か3社共、人生観に関するテーマ論文問題が主体だった。
CLICK人生観…

贅沢なことに面接もして、3社とも合格通知がきて戸惑った!!
(相棒Kくんは三つとも受からなかった…)

◇1  梶@銀座・三越     意匠デザイナー募集         
 ◇2  ゼネラル電器 梶@ 工業デザイン企画者募集       
◇3  梶@東映       宣伝部デザイナー募集        


世事に疎いJIJI青年はどうして良いのか解らず、手広く株をしていたさんという知人に相談した。
さんは、二つ返事に、<東映>が成長株だから、其処へ行け! とすすめられた。

今の時代想像もつかないだろうが? 初任給は一万円にも届かなかった。
仕事の内容もなにも無かった… どうせ <白紙からのスタート>だった。
JIJI青年は当然一番の若輩で、先輩社員に一から教わりながら、
映画ポスターのデザインと宣伝業務を覚えて行った・・・
企画的な仕事も次第に覚えていった。

その後の社会情勢では、Aさんの診断と見通しは正しかった。
お陰で映画の東映の黄金時代を歩いた!!!

浪人する事無く、映画会社々員として、社会人のスタートをして、紆余曲折も無かったとは
言えないが以後18年間、東映で働き、お世話になった。


京都・太秦東映撮影所にて・・・


片岡千恵蔵・市川歌右衛門・中村錦之助・美空ひばり・などのポスターに携わった。
当然コンピューターなんて無い… 手書き(書き版)が全ての時代だった。
湯の町エレジーの作曲者として有名な吉田信さんが宣伝部長だった。


多分?其れで良かったのだと思いたいが、三越で浴衣かなんかデザインしてたJIJIとか、
ゼネラル電器でステレオかなんかの函を意匠してたJIJIが生まれたかも知れないと思うと、
若い時の、職につく切っ掛けと動機は、人生を方向付けする重要素があるのだと思う?!

運命とは解らないものだ 三社とも試験に落ちたKくんは絵に専心したから
絵描きとして立派に一家を成した。 Kくんとは小西治男君である・・・

外国風と云うのだろうか?なかなか定職につかず、自分の能力を評価してくれる処を
見付けるまで <プータロー> でも食えれば良いという風潮があるが、
外国風に馴染めぬ石頭の所為か?理解できない… 間違っていると思うのだ・・・

今の時勢 <人材ハント> とか言って、最初から使い物になる人材を求めて、
ひよっこからみっちり社員を養成する会社が減って来ている!!


余程の偶然と幸運がない限り、他人を評価する人は来ない!!
運命は偶然が大半を占め、結果は最期まで解らない・・・確実に言えるのは、
JIJI位の歳になると自分の人生の先がみえてくる・・・・
先が見えない内にガムシャラに進んでこそ道は開ける

それが
CLICKビジョンと云うもの




   
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