映画会社<東映>の社員になってから、スケッチブックに日記替わりに絵を描いていた。
そこに、一行の文字がある。 表題の 雪は汚れていた と云う筆文字の一行ダ・・・
絵は描いてない… わたしの失恋の無念の想いがここに込められている。

社員になって間もなく、三度目の正直?初恋をした… 社内・秘書課の○○さんだった。
彼女の家にも訪ねる間柄になり、一緒に映画も観に行った。大人の女性を感じた。
家を訪ねたとき、「ケ・セラ・セラ」を唄ってた○○さんが出て来た。親に引き合わされた。
彼女に夢中になったのだが、雪は汚れていた 詳しくは書けない…  

若かった… 純情でもあった… 何もカも嫌になり、遠くに行きたくなった
一刻も早く、汚れたTOKOから離れるには、飛行機…北海道…だったのだ。
自分の知ってる一番遠く… 従兄弟が電源開発の社員で、北海道・糠平ぬかびらダム工事場に居た。
其処へ逃避行した。 良い時代だった、会社に無届けで一ヶ月近く休んで首も飛ばなかった。
それ程重要な存在でなかった所為もあるな?

油絵道具一式だけかついで羽田空港から一路千歳まで飛んだ… 北海道は広かった。
見渡す限りの一面の雪。函館までで日が暮れた。汽車の連絡が無い…
函館の簡易旅館で一泊して、翌朝、汽車で大雪山麓ヘの連絡口・帯広までまる一日の旅。

帯広から糠平ぬかびらまで、ディーゼル車で真夜中の雪原をひた走る頃には、心ぼそさがつのった。
なにしろ客車の暖房は、石炭のだるまストーブの煙突が天井を貫いている・・・
お客は私のほか2〜3人きり乗っていない。ガラス窓に自分の顔が映るばかりだ…
気の遠くなるような時間が過ぎて、間の抜けた「ぬヵーヴぃーぁー」と言う車掌の声で、
はるかに人家の灯りがみえる、雪原の無人駅に到着!!

糠平駅とは名ばかり… 雪原の中に踏み台が、ぽつんとあるだけ… 
遠くに見えたのは飯場だった。
従兄弟が迎えに出て呉れたのには、思わず涙が出そうになった。
 この従兄弟・杲も去年2006年亡くなった)

飯場に転げ込み、自棄のように絵を描く毎日… 凍傷になって、ぬるま湯で手を温めてくれた
飯場の嘱託医師・及川馨ご夫妻に、夕飯のご馳走を戴いたり、、、
暖かく迎え入れて頂いたのが忘れられず、何十年も年賀の
お付き合いが続いている。 小樽市入船で開業されてたが、ご健在だろうか?
(先日、思いがけず及川さんの奥様から電話を頂いた、JIJIのこの日記を、
読んで頂いたようで?及川さんが90才を過ぎ、絵の個展をされる…とのお話で、
感激のお便りだった。。。)
追記 及川馨さまに個展のご案内状を頂きました!
’07年10月30日(火)〜11月4日(日)
会場 :さっぽろ大丸藤井セントラル7Fホール

札幌市中央区南1条西3丁目

雪と寒さに心は洗われ、心の痛みは癒えたが、作品はなにも残らなかった。
わずかに、雪の中で描いたので絵の具と雪が混ざり、後で雪だけ解けて、あばたになった作品
が残っている。 画題は及川さん官舎宅遠望の雪のスロープの小品だ。
雪原に射精して… ○○さんへの未練は見事に消えた
糠平の懐かしい想い出の作品となった。

糠平スケッチ 4号・ボード板


同上 原寸大の部分

     
     同上 部分・及川医師宅              同上 部分 サイン部分 ’55
マッ黒に雪焼けして出社したJIJI青年の顔をみて、誰も失恋失踪?とは気付かなかった。




1962年正月 小倉にてこれを写す



 このささやかな詩集は
 こゝ数年来の僕の若いつたない迷いと苦しみの記録なのです。
 沢山残っている スケッチ・ブックの絵の間に
 かきつけてあった詩(
コトバ)のうちから、其のうちの好きなもの
 幾つかを拾ったのです。
 今ここに、妻として敬子を迎え
 新しい力強い 製作欲のような――何か――にもえて・・・
 古い昔のことばから順を追って書きつらねたのです。
 つまり、これは
 僕の心の歴史なのです。
 波のように――砕けても、又砕けても・・・・
 力強く、根気よく 初志を貫く波の唄のように。


自  然
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@自然は休むことがない           A幼きが生まれ、幼きが育ち、若きが老い
春が去ると夏が             太郎兵衛が死に権作が死に         
 夏が去れば秋が              権作が娘のお近が、次郎どんの嫁御ん  
秋が逝けば冬が               なって二人でお花坊ばこさえる。    
冬の すべてが眠ってしまった様な    太郎兵衛が焼場で灰になった。     
    雪野にも、自然は力強い         権作は地蔵さんの脇の雑木林で土になった。 
鼓動を続ける。                だが変わったのは小さな自然の    
花が咲き、そして散り            太郎兵衛であり権作・・・・        
若葉が芽吹き、そして落ち、        自然としての人間は変わることなく  
或いは消え、或いは朽木と             営々として鼓動を続けるのだ 
なっても                     吾々は太郎兵衛であり権作であり、
春はどこからか                永遠の一部として今あるに過ぎない。  
草木の生命を呼び寄せて来る        然し だが 然し・・・・                
人はこうした自然の             吾々は、お近ば嫁にもろてコイッスして
小さい小さいごく片隅に           お花坊を産んで、役がすんだで・・・ 
営々として小さな自然を営む。      土に帰る(ケエル)じゃ困るのだ。  
   老いたるが死に              ここに人生の大きな意義がなければならぬ。
                自然としての人間の
                     より良き繁栄をはかる・・・・
昭和28年9月10日


 
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話し合って 別れたあと
心楽しくなる、ほのぼのとした
何かを残して去る人が
あるものだ

かといって 別にどうという
ことを話したと
云うのではない

為になることを教えてくれた
訳でもない
唯、何でもないようなことを
言葉少なに話しても・・・・

こうした人が
本当に良友たる人で
あるような 気がする

多いのも友だが
少ないのも友だ

妻は一生を通じての
最良の友でなければ
ならない

自分のアドレスから
友の名を一つ
又一つ抹殺して行く
それは又
友のアドレスの
自分の名を
抹殺するだろう

そして
しまいに、たった一人
自分が残る。。。


昭和21.8.3.
(JIJIの昔むかしの記録から…)







雪は汚れていた

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