屈折した<初恋>も、さすがに4回目ともなると、恋の仕方と気構えが変わる?! 初恋と言うには相応しくないナマグサイ話になる?? 難しい事でもない、好きになる位の女性なら、恋人が居ても過去があっても不思議では 無い…という免疫と、好きなら好きと意思表示するべきなのを学んだのだ・・・ 印刷会社の接待で、よく招かれた(新橋)烏森の料亭Tの仲居さんAさんを好きになった。 Aさんと、かなり親しくなり、お互いの家族に合わす段になって、私の母・澄江が猛然と反対した、 私に何も言わず、料亭Tに乗り込んで、女将に断りの掛け合いに往って来た… 私は料亭Tの女将に、「あんな母親ではAが可哀相だから、こちらから断る」と罵倒された。 わたしも若かった、産まれて初めて家をはなれ、新宿歌舞伎町のすぐ近くに下宿し始め、抵抗した。 ぼんぼんで愚かなJIJI青年は、ここでも所帯を持ってしまうだけの勇気が無かった。 いまから思うとAさんは、家庭的な女性ではなかった・・・ Aさんとの付き合いは続いたが、彼女は私を知人・親戚に自慢したかったのだろうと、 今なら、理解出きるが、すぐに、親戚に連れて行き、散財させるのも、さめさせた原因だった。 併せて不精物の私に一人暮しの下宿生活は長続き出来なかった。 わがままな私にとって、下宿の小母さんが脱ぎ散らかしてある衣服をたたんで置いたり 布団を敷きなおしておいてくれるのが、妙に鬱陶しく煩わしくもあった・・・ 本社・宣伝部勤務から、小倉東映会館宣伝課長に…という話に飛び付いて、 東京を離れ、都落ちしようと決心した。 最盛期の東映が多角経営で、デパート事業を起こそうという話だった。 Aさんには結果的に申し訳ないことをしたと思っている ^^);; 小倉東映会館宣伝課長と云うと、一見格好いいが、現地採用の部下を5人程付けられた。 JIJI青年の入社当時と同じ、マッ更な新人を教育しながら仕事を進めるゆとりが無かった。 これは、結果的に<仕事を一人で背負い込む>ことになつて、くたくたになった。 人を使うのが下手…といううか? ひとを利用する才能が無かったのだ・・・ 黒くろばる原という処に下宿を借り、料理洗濯はまるで無能だから、一切外食の生活だった。 そんな悪戦苦闘のJIJI青年の処へ、わざわざ九州まで叔父・慎一が縁談の話を持って来てくれた。 叔父は初恋のMの父親で、そのことは知っていたのではないか?と思う?? 嫁さん候補者は、会津若松の旅館の長女だという… いまのBABAだった。 JIJI青年は<叔父の誠意に応えるため>?? 東京出張の脚で、叔父と夜行の会津行き列車に乗り、芦の牧福満荘へ往った。 福満荘に着いたら、待てど暮らせど花嫁候補・敬子さんが出てこない… もう一泊することになった。 敬子姫は、そんな話は聴いていない… と臍を曲げて、若松へ遊びに往ってしまったのだ。 スケジュールを変え翌日まで待ってたJIJI青年に、敬子姫は会ってくれて初めて話した。 YES NOは据え置きで、東京に帰り、九州・小倉に帰った。 1ヶ月もしないうち、叔父がまた九州まで縁談ばなしにきてくれた。 然も、会津若松から、敬子姫同伴…!!! 其の夜、黒原の下宿の2階で 「地獄まで連れて行く、付いて来てくれ」 と云う乱暴なプロポ−ズとなった。 それから、東京を挟んで北と南の<見合い恋愛>がはじまった! 会津と小倉では、まだ当時電話も通じなかった… 汽車でも丸一日半掛かる… 文通でのやりとり… ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 上野「東天紅」で挙式… 九州・小倉・浅野団地で新所帯をスタートした。 結婚記念日を、何時も忘れていてBABAに叱られる(今も解らない!?) そして、こんにちのBABA敬子がいる・・・ オソマツの一席 ^^);; m(_ _)m 因みに、叔父・慎一と家内の父・坂内章浩は、もう退職していたが、 章浩が国鉄の資材関係、慎一は出入り業者だった関係での友人だった。 損得勘定抜きの叔父の介助抜きに、こんにちのJIJI・BABAは居ない。。。 そして、叔父慎一も義父章浩も、この世に居ない… 合掌 |