se-14] 初恋(4) 強き母





屈折した<初恋>
も、さすがに4回目ともなると、恋の仕方と気構えが変わる?!
初恋と言うには相応しくないナマグサイ話になる??
難しい事でもない、好きになる位の女性なら、恋人が居ても過去があっても不思議では
無い…という免疫と、好きなら好きと
意思表示するべきなのを学んだのだ・・・

印刷会社の接待で、よく招かれた(新橋)烏森の料亭Tの仲居さんAさんを好きになった。
Aさんと、かなり親しくなり、お互いの家族に合わす段になって、私の母・澄江が猛然と反対した、

私に何も言わず、料亭Tに乗り込んで、女将に断りの掛け合いに往って来た…
私は料亭Tの女将に、「あんな母親ではAが可哀相だから、こちらから断る」と罵倒された。
わたしも若かった、産まれて初めて家をはなれ、新宿歌舞伎町のすぐ近くに下宿し始め、抵抗した。

ぼんぼんで愚かなJIJI青年は、ここでも所帯を持ってしまうだけの勇気が無かった。
いまから思うとAさんは、家庭的な女性ではなかった・・・
Aさんとの付き合いは続いたが、彼女は私を知人・親戚に自慢したかったのだろうと、
今なら、理解出きるが、すぐに、親戚に連れて行き、散財させるのも、さめさせた原因だった。 

併せて不精物の私に一人暮しの下宿生活は長続き出来なかった。
わがままな私にとって、下宿の小母さんが脱ぎ散らかしてある衣服をたたんで置いたり
布団を敷きなおしておいてくれるのが、妙に鬱陶しく煩わしくもあった・・・

本社・宣伝部勤務から、小倉東映会館宣伝課長に…という話に飛び付いて、
東京を離れ、都落ちしようと決心した。
最盛期の東映が多角経営で、デパート事業を起こそうという話だった。


Aさんには結果的に申し訳ないことをしたと思っている ^^);;
 

小倉東映会館宣伝課長と云うと、一見格好いいが、現地採用の部下を5人程付けられた。
JIJI青年の入社当時と同じ、マッ更な新人を教育しながら仕事を進めるゆとりが無かった。

これは、結果的に<仕事を一人で背負い込む>ことになつて、くたくたになった。
人を使うのが下手…といううか? ひとを利用する才能が無かったのだ・・・
くろばるという処に下宿を借り、料理洗濯はまるで無能だから、一切外食の生活だった。

そんな悪戦苦闘のJIJI青年の処へ、わざわざ九州まで叔父・慎一が縁談の話を持って来てくれた。
叔父は初恋のMの父親で、そのことは知っていたのではないか?と思う??
嫁さん候補者は、会津若松の旅館の長女だという… いまのBABAだった。
JIJI青年は<叔父の誠意に応えるため>??
東京出張の脚で、叔父と夜行の会津行き列車に乗り、芦の牧
福満荘へ往った。

福満荘に着いたら、待てど暮らせど花嫁候補・敬子さんが出てこない… もう一泊することになった。
敬子姫は、そんな話は聴いていない… と臍を曲げて、若松へ遊びに往ってしまったのだ。
スケジュールを変え翌日まで待ってたJIJI青年に、敬子姫は会ってくれて初めて話した。
YES NOは据え置きで、東京に帰り、九州・小倉に帰った。

1ヶ月もしないうち、叔父がまた九州まで縁談ばなしにきてくれた。
然も、会津若松から、敬子姫同伴…!!!

其の夜、黒原の下宿の2階で 「地獄まで連れて行く付いて来てくれ」 
と云う乱暴なプロポ−ズとなった。
それから、東京を挟んで北と南の<
見合い恋愛>がはじまった
会津と小倉では、まだ当時電話も通じなかった… 汽車でも丸一日半掛かる… 文通でのやりとり…
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上野
東天紅」で挙式… 九州・小倉・浅野団地で新所帯をスタートした。
結婚記念日を、何時も忘れていてBABAに叱られる(今も解らない!?)
そして、こんにちのBABA敬子がいる・・・ オソマツの一席  ^^);; m(_ _)m


因みに、叔父・慎一と家内の父・坂内章浩もう退職していたが
章浩
が国鉄の資材関係、慎一は出入り業者だった関係での友人だった。
損得勘定抜きの叔父の介助抜きに、こんにちのJIJIBABAは居ない。。。
そして、叔父慎一も義父章浩も、この世に居ない… 合掌



inserted by FC2 system