<
かえるコール>
?…少しお歳の人には懐かしい言葉ですが…
携帯電話が、普及していなかった時代、勤め人が愛妻に 「今から
カエルよーっ」 と
電話を入れるのを、
<
かえるコール>と言って、善良な旦那さんの奥さんへの、思いやりとされていた。
携帯電話の大普及で、何処でも、連絡できる時代… そんな風習は消えてしまった。
娘二人が幼稚園の頃、会社の忙しさにかまけて、娘の世話は
BABA(其の頃は若夫人??)にまかせっきり…
決して良い父親… いい亭主じゃなかったと反省してるが、よくBABAは頑張ってくれた m(_
_)m
土曜日の晩。
JIJI旦那の<
かえるコール>は「
さつま芋蒸かしといてぇーっ」
夜食にする訳じゃない
?!。 つまり、帰って其の脚で
、、、
へら鮒つりに往こうと云う算段?なのである・・・
当時、
インスタント餌はまだ出来てない時代で、蒸かしたさつま芋を裏漉しに掛けた
団子を餌に釣るのが、へら鮒つりの<おきまり>だった。
残業続きのJIJI旦那は、
釣り会バス出発の2時・3時に間に合わないのだ。
若い頃、JIJI青年は、へら釣りに夢中で、
日本へら研(浦波支部)で2年連続全国制覇のメイン選手だった。
鮎釣り、渓流釣り、海釣り、いろいろしたが… へら釣りが一番面白かった。
油彩
6号 へらぶな
1978年作
へら鮒釣りの大先輩
ギタリスト詩人・中林惇真さんの母君
、英ハナブサ美子さんの ”はるぶな日記”は
若き日の
JIJIの愛読書、バイブル?でした。
(小貝川の畔に、庵を開いていた
英ハナブサ美子さんを、釣友関口泰さん金子敏雄くんと訪ねました。)
その時、愛読書”はるぶな日記”に扉書きして頂いたのです。。。
多分、
英ハナブサ美子さんは、ご存命でないでしょう? 釣友関口泰さんも亡くなりました。
こり症だから、独身時代の自由時間の全てを…
へら鮒つり道楽に注いでた結果…
結婚してから、
BABA夫人に「背広の着替えも持って無い
!、釣り竿ばかり…」だと、呆れられた
!
当時、
BABA夫人は、さつま芋を蒸かして、裏漉しを掛け、餌だんご造りして、送り出してくれた。
それで、餌の出来が悪い…なんて文句を言ってて良く罰が当たらなかったモンダ…
つり馬鹿日誌のデン助みち子たんを地でいっていた・・・ ^o^);;;
山中湖・河口湖・喜多方の旧川e.t.c. 彼方此方遠征した。
狂ってタナぁ??って思う想い出は、
釣り会バスに乗り遅れ、
タクシーで佐原向地まで追い掛け、
とうとう追い付けず、釣り場までタクシーで行き、財布が
カラになった
!!
九州・
小倉に転勤になっても、海釣りよりへら竿を担いでつて、釣り場を探したものだ。
九州にも、結構へらつり場には事欠かなかった。
娘二人が嫁いでから、BABAの運転で
夫婦で釣りにいくようになった・・・
(自慢にもならないが、JIJIは免許を持ってないのダ…)
歳の所為で?、へら鮒の繊細さが億劫で?・・・
最近は近場で手軽に往ける<
釣堀の鯉つり>を、夫婦で競うようになりました。
3〜
4時間、気楽に釣って、釣った量目の少なかった方が
釣堀代を払うのですが…
たびたび払わされる。
のろけではなく、負ける位のほうが心から嬉しい。
^o^);;;