se-18

転勤


 18年間の務め人稼業で、日本的会社組織の人事異動の仕組みが、
なんとなく見えてきた気がする。(役所も同じらしい??)

一箇所に根をおろして着実に出世して行くタイプ       ……居座り組
短期間地方などの外回りをしては、一つ出世して戻るタイプ ……ピンポン組
何処かへ出されて古巣に戻れない脱落組みというか    ……外回り組

人それぞれの不適もあろうが、居座り組には術策者が多く、ピンポン組は
実務者型が多かった。 外回り組は一匹狼の大物か、脱落者?の両極端だった。


自分の事は棚にあげての一般論だが、自分が会社務めと無縁になり、
開発反対運動等にかかわり、役人さん始、多くの人に付き合ってみて、
其のことは、現実社会の問題でもあることに気付く??!!

今の若者の多くは、その?何処にも属す??のを嫌い、自由奔放にあこがれる…

強いて自分をタイプ別に分ければ、外回り組に近いピンポンだった。
一回本社宣伝部を出てから、会社が新しい事業を始め、または起こす度に
先遣隊員として使われる立場に巡り合い、生き甲斐でもあったが苦労した。

テレビ動画のはしり… テレビCMの企画者… デパート小倉東映会館宣伝…
大した功績も無いし、お役にも立ったと思えないが一応係わっていたのだ。

過労から体を壊し精神的にも参った… この会社で如何転んで出世しても
部長にでもなれれば最高なのだ??と、見えてきたら会社に未練がなくなり、、、
自分の絵を気ままに描ける生活に入りたいと、思うようになり退職した。

 あいづの歴史(建築当時の計画パース)
OPENにあたり、建築装飾の計画を描いたノートです。

甘味:あいづ 1974OPEN
◆木の塀の一部(左手前)を壊して店を造りました。(二階が画廊)
◆木の塀・右部の家が、後の車庫、二階が作業場に、なりました。

家内BABAが理解者だった幸せ… わがままを支えて協力して呉れた。
1階 甘味:あいづと、2階 画廊:YAMAの開店・開業だった。




















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