so-17 吾が人生観 (1957年4月19日)


学生時代のノートや記録を整理しています。東映に入社した頃の筆跡で
<吾が人生観>という見出しの、11枚にわたる作文を発見しました
切り接ぎ調で肩肘張っているが、50年昔のJIJI青年の現実??案外当たっている。
タイムカプセルを開けて、捨てるには勿体無いので、転記しました。
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[] 美術学校一年。何のレポートとしてであったか忘れてしまったが、
   レポートとして提出したものゝ下書きが残っていたので、ここにうつして置く。
   千九百五拾七年四月十九日   会社において。


(原文・半世紀昔のまま…)
「大きくなったら・・・」人生観の出発はこれである。 大きくなったら私達は四ッ五ッの子供の頃から、
大人から聴かれ、やや長じては綴り方などにも書かされた。 汽車の機関手・飛行機乗り、何でも
乗り物とあれば素晴らしく、乗ってみたい一念から、運転手々々々で、「比の子はマアー」と親を
嘆かせた時代。 小児麻痺の治療で、幼な心に「歩きたい」 「遊びたい」 と泣いた時代、、、
・・・三・四才の頃であったろう。

歩兵とテッポウにあこがれた時もある。父さま母さまに孝行するンだと小鼻をヒク付かせた頃もある。
総理大臣にあこがれ、海兵にあこがれ、声楽家にあこがれた。

「回顧すれば六十余年、人生既往を想えば恍として夢の如し」と云う。確かに過去は夢である。
実に変化の多い賑やかな夢である。凡そすべての人事は一時でも止っているものではない。
常に変わり常に生まれる。

子供の頃は簡単だ。なりたいものになり、やりたい事をやる。見栄も外聞もヘッタクレもない。
それが長ずるに連れて、見栄や利害を考えてソロバンをはじく。
ここに人生煩悶(ぼんもん)の第一歩があるのだと想う。


子供の世界はいい、素的だと想う。世のすべてが童心に返ったらどれだけ比の世が住み良くなるだろう。
然しそれでは成り立たないのも事実だ。悲しいかな童心は社会から私生児扱いを受ける。

商家の子は商家を、農の子は農を、親の職業と運命を、己の運命の大半として世襲した旧幕の
頃はいざ知らず、社会の大波・小波が打ち寄せ、打ちひしぐ今の時代は、親も子の運命を
予想することは出来ぬし、将来自分がどうなるか人は無論、自分ですらこれを知ることが出来ないだろう。

それかと云って自己の未来を考えぬ訳には行かぬ。分らぬ将来に逆らって、自己の将来を探るとき、
人生煩悶の第二段が始まる。即ち天分の探求である。

「生物は世界の花なり(大記)」と云う。
                            口偏に西と書いてシン又はワラウと読みます (^^;;
              田山花袋に読みふけってた記憶が有るので其の辺の引き写しダロウ??

花は散らなければならない。生物は生まれ、死ななければならない。
その齢を岩石に較べるとき、何とはかないものか。 「然れども亦生物は皆造化主なり」と云う。

樹木は種子を造り、種子は水や土を造化して樹木となる。犬馬の生活は、犬馬の形のない所より、
犬馬を造化し出す。 彼等は宇宙に所謂造物主なるものが有るか否かは知らぬ。
イザナギ・イザナミの命有るも知らぬ。 唯、生物自身から造物主であることを知っている。
即ち本能である。

一体我々は樹木や犬馬と変わらぬのであろうかエマーソンは 「紳士たるの第一條件は善良なる
動物たるにある。」と言っている。 素的な言葉だと思う。

私達は自覚を持ち理想を持つ生物である。 これこそ人間が他の生物と異なる根本だと思う。
私達の理想的な生活は、大きな理想を描き、それを実現することにあろう。
即ち経験界・現象界に理想界を造り出すことこそ私達の職分なのである。


かくして、理想の実現こそ私達個人の生きがいであろう。 もし私達がみずから造化し出す
のでなかったら、誰が此の世の理想の造化主だろうか神だろうか仏だろうか

キャンヴァスを立て絵の具を出し筆をそろえ 「天よ神よ」と叫んでみたところで、天が何と答えるだろうか、
「耶蘇よキリストよ阿弥陀様よ」いくらわめいたって怒鳴ったって、手をあわせるだけでは
名画は出来ぬ。理想を実現するのは天ではない、神でもない私達自身なのである。

然し花は変わりやすい。 生物は死にやすい。 私達が曾て正義と見、善美とみて造ったものも、
今は既に老い朽ちて改造されねばならなくなる。理想は到底なかなか円満には成就出来ない。


然し物は見様でどうでもなる。 レオナルド・ダヴィンチが弟子に言った詞に 「あの鐘の音を聞け
鐘は一つだが、音はどうとも聴かれる。」 と云うのがある。

一つの鐘の音。
胸に切々と迫り涙を流して聴いた乙女もあろう。 夕べの野良に小鳥の唄に和す平和の声と
きいた老農もあったろう。 一人の男、一人の女も見様次第で如何様にも見られる。
Aには馬面に見える女も、Bから見ればノンビリとした温和しそうな顔だ。要は理想を何に
置くかにある。 私は生活を平凡に、理想をどこ迄も高く求めたい。

時間・空間に包まれた比の世の中に、私達の理想を成就することは到底円満には行かぬ。
然し、永久に理想を求める生活こそ、私達の真の生活だと思う。

 会社(東映)において 195719


いま2002月アトリエの本棚に、茶色く破れかけた東映の封筒を思い出し
整理を始めた… タイムカプセルを開ける心地だ… 今更言う事も無い
JIJIは26才の時点から大して進歩していない???
そして、世の中は腐っている!!
2007年4月17日 想い出日記の推敲をしました。。。




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