so-2 実家福満荘の火災 





家内BABAの実家は、会津芦の牧の旅館・福満荘(後の芦の牧グランドホテル)だった。
フクが一代で起こした旅館業だ・・・

82才で亡くなった、家内の父坂内章浩は、娘婿のわたしの家に良く来て泊まった。
作詞の才があり、♪猪苗代哀歌などのレコード作詞が何曲かある。。。
地元では名士で♪芦の牧音頭、♪芦の牧甚句(東芝EMI株)も義父の作詞だ・・・


猪苗代哀歌 作詞:坂内章浩 :唄松山恵子
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 夕陽も泣くか 磐梯の
  峰に茜の 雲一つ
       かえらぬ人と 知りながら
        おくれ毛かんで ふりかえる

   二) あきらめきれず 砂に書く
     波が未練を 消してゆく
       想い出追って きてみれば
     いなわしろ湖の 風哀し

  ) 生命をかけた 恋ゆえに
      何でこの身が 惜しかろう
 涙で染めた 湖に
      燃えるおもいを 沈めたい

古城の哀歌 作詞:坂内章浩 :唄伊東道夫
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) 春は桜につつまれて
    秋は紅葉に色さえる
 会津若松鶴ヶ城
      時は流れて我が故郷は
  静かに眠る城下町

) 飯盛山は今もなお
     哀れ武門の名に殉じ
      恋も知らない若武者の
      無念の涙伝えて聞くは
   忠烈むなし白虎隊

) 今も昔も変わらぬは
      揺れる水面に映える松
   歴史は残る永久に
       葉がくれ武士の誉を伝え
      五層の天主そびえたつ



<冬>のある晩、Babaと父・章浩

月日の記憶が定かでないのだが… 義父・章浩が浦和に泊まって寛いでいた時・・・
知人のAさんから緊急の電話 今、福満荘が火事だ、、、と
すぐ何度も何度も、電話を掛けたが繋がらない。

まだ、長女・かおりが、よちよち歩き… 
家内の弟も妹教子も学生で、東京で下宿暮らし…
が母フク電話中、繋がったま騒ぎの声が聞こえ切れたと言う。

取り敢えず荷物を纏め、教子を電話で呼び、じりじりする思いで、
大宮から急行列車で郡山に向かった。
 (まだ、我が家にマイカーなどなかった・・・)



郡山駅にさんが車の手配をしてくれていた。
いらいらする、なが〜い時間が過ぎ、真夜中の実家に着いたら、
新築した新館だけを残して… 家の姿が無かった。

焼け落ちて燻る火事場の中に、髪を振り乱した義母フクが、足袋はだしで立っていた。
「家はいいから、お隣りは燃すな!! フク消防に叱咤してたと後で聞いた。




当時、丁度休職中の身で、自由な時間がとれたから
そのまま家内の実家復旧作業の手伝いをして、芦の牧で2ヶ月程過ごした・・・

焼け残った新館(鉄筋)屋上に、フロントが出来て、
屋上から外階段で、焼け落ちたフロント迄下りる借り工事…、

焼けないで済んだ新館は、新館工事引き渡し前だったので、
飯場もあり職人も居て、そこが俄か調理場に変身… 
焼け残った部分で、予約のお客さまを受け入れ仮営業…
大成建設の当時の所長・稲見一城さんのお世話になった。

屋上の俄かロビーで、お客さまの靴揃えを手伝った。
家族も従業員も必死だった…
お客さまにも誠意が通じて、苦情も言われず、慰めて頂いた。。。

バブルの前でも有り、みなの協力で旅館は程なく復活し、
坂内靖典氏が社長になった。
日本交通公社の全国人気旅館100選東北No-1旅館にも選ばれました。
福満荘の全盛時代でした。


バブルが崩壊して険しい時代に入って行きました。
バブル崩壊で旅館業に陰りが出始めたのを機に、権利を他人に譲り、
氏は、ホテル業を止め、気ままな生活を選び、送ることにされました。

フクは今、91才、2002年をナンとか越しましたが、
もう、口はきけない、問い掛けに対して、握った手にわずかに反応する…
これから先の家族の歎きを思うと、いまから心が痛い、、、

BABAと<延命治療>について悲しい会話をする、
可愛そうで見ていられない気持ちになる、、、自分の時には延命はしたくない…
(2003年5月25日帰らぬ旅に出た・・・)



最盛期、家内の実家を利用し、自分の家以上に気安く泊まり、
会津に関する沢山の作品が生まれた事は、HP掲載の通りなのだ・・・


五月・(小谷部落) 水彩4号

JIJIの絵画創作の意欲がピークでもあったと思う
最近は、恥ずかしながら、P.C.に嵌っていて作品がない…

僅かに下の水彩青い壺911と戦争に、平和を願って描いた作品だ・・・


CLICK水彩6号 青い壺







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