yo-1

生まれたところ


JIJIの生まれた頃・・・(アルバムから) 父が写して記録して 呉れました。


  
 JIJI ゼロ才〜1才      (父・務 写す)           JIJI 2才〜3才   


JIJIが東映宣伝部在職時代、スチール写真からカットを描く
こんな、作業もしていました。 其の頃の一枚…
あまりに、JIJIの写真にそっくりなので、、、Upして置きます


JIJIの描いた 長女・かおり(生後5ヶ月)のカット画







 だらだらと下る砂利の、坂道の両側に、5〜6軒、疎らに家があった。
北向きの高台の、坂上が、のぶ子ちゃんの家で、北側に大きな、いちじくの木があった。

木の下の路地突き当り、概念図の、温泉マークの処が、JIJIの生まれた家で?、、、
其のあと、すぐ隣の■の所引越したのだ、そうだ。。。

坂下に自動車学校があり、あとは見渡す限りのさつま芋畑とダリヤ畑だった。。。
自動車教習場のコースは池を囲むように広がっていて、
自動車教習場の向こうに鉛筆工場があった。
遥か北は、行った事のない遠い森が広がっていた。

家の、すぐ下は急な斜面で、
崖下にケイサブローさんの家と、あけみさんの家が並んでいた。
道を挟んで西側は、小児麻痺のオサムちゃんの家と、線路下の、みさこちゃんの家。

道と並行して電車の線路があり、第三踏切りと言う場所だった。
ときたま電車の轟音が過ぎていった。



75才になったJIJI

 産まれた処:今昔
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半世紀が経過し… わたしの産まれた場所は
下の写真、右奥しるしに見える、茶色い大きなマンションになっている!
ここは浦和市東仲町(5-159)と云うところだった。
坂道に面して居る処だけが、かすかななごりで・・・
一面の芋畑とダリヤ畑だった処(手前)は、びっしりと家並みで埋まってる。。。

   
昔の森の辺から見た写真、、、遠くに見える茶色のビルが、産まれた所だ・・・(右写真)


わたしは小学校入学の頃までの、幼児期をここで過ごした。
仲町時代...幼児の思い出は、遠いけれど妙に生々しく、今に繋がっている!

<閑話休題>
小学校入学の年(7才)に、今住んでいる浦和駅の西側(高砂学校門前)現在地に移って、
72才の今まで、ここ(浦和市岸町4-26-4)に住んで来たが、、、
町名変更で高砂町1丁目が、岸町4丁目に変わり、町並みも変わった・・・
駅最寄の屋敷町は、商店街に変わり、70年から住んできた家が、
強引な
Click駅前都市再開発指定地区になった。。。

駅前都市再開発に反対して<移転を決意する頃>は、
Click地元商店会長だった。。。


ダリヤ畑とさつま芋畑の向こうは、今の北浦和だが、まだ開けて無かった。
幼児のわたしには、其の向こうに行く事は大冒険?で、怖くて出来なかった。
人さらいが出る…」と母に脅されていた・・・ 
外に出るのは 下の家のケイサブロー兄ちゃんに連れられて、
Clickふたつ橋>まで魚すくいに行く位いが大遠征だった。


昔の面影を留めるお稲荷さん

 

鉄道線路は、いまのJR京浜東北線で、線路の横断は踏み切り(ガード化されていなかった)。
駅から北へ第1から第5まで踏み切りが有り、
第1踏み切り以外は無人踏切で、時たま人身事故が起こった。
もう、余程の田舎に行かないと見掛けない、線路を横切って並べた枕木を渡るのだ。
不注意に渡れば列車にハネられた!!

時の流れは、全ての踏み切りをガード化し、周辺の地形も大きく変え、
都会化して、ほとんど面影が無い。
養魚場の側の小川<Clickふたつ橋>で小魚が掬(すく)えたのだが、
今は橋も小川も、暗渠(あんきょ)して、アスファルトの道路の下になってしまった…
後年、この暗渠した道路上でバイクに乗っていて交通事故に遭った。。。
いま其処迄の距離をみると、2kmそこそこなのだが、幼児のわたしには大遠征だったのだ。



其の頃からの<想い出>を綴ろうとおもう・・・



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