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駄菓子屋: 祖母



県庁下のどぶの上手は常磐町という一帯で、そこに赤レンガ塀に囲まれた裁判所があった。
そのどぶの傍に祖母の家があって、浦和市役所も其の傍の木造二階建てだった。
幼稚園のときも小学校のときも通り道だったので、祖母の家にはよく寄り道した…。

祖父は島田慶造と言って師範学校の校長だった人で、わたしの名の名付け親でもあった。
わたしが寄り道した頃は、もう亡くなっていて居なかった。

祖母は島田慶造の後妻で、先妻は祖母の姉で、妹:石(いし)つまり祖母が後妻になった。
わたしの母:澄江いしの二女で、先妻の子も居て複雑な家系だった。
静かで優しい祖母で、叱られた記憶は一度もない。
祖父は白髪の長い髭を生やした、立派な人だが写真でっきり知らない。

あの頃の子供の楽しみの一つに駄菓子屋があつた、結構彼方此方にあって
紙芝居の小父さんのお菓子(水飴)とともに、唯一のお金の使い場所だった。
めんこベー独楽なんかも其処に行けば買えた。
当時の記憶では、
1銭とか2銭と云う単位で、今は株式レートでしか使わないが、1円アルミ以下の単位だ。
インフレからインフレ… で、ここ半世紀程に貨幣価値が、まるで変ってしまったが、
当時、母の財布から50銭だか5円だか?を持ち出して駄菓子屋で散財?して、

大目玉を食った。「お巡りさんに連れていかれる…」という脅しだった。

店の名前は覚えていないが、何時も寄り道した祖母の家の隣が市場で、其の脇に
駄菓子屋さんが有り、そこでよく、くじ引きで買う飴や砂糖菓子を買った。
飴や菓子其のものの魅力より、
大きな景品がついたり、半当たりでもう一度くじ引き出きるのに
わくわくしたが、景品の飴は友達に上げてしまって、味の記憶はすくない。
甘酸っぱいラムネのお菓子と、飴色の延し烏賊(いか)の味が懐かしい。

祖母の家の近くに、小宮山くんという図体のデカイ友達がいて、お菓子のほとんどは
あげるか?取り上げられた。今で云うカツアゲだ??
なんの原因だったのかが記憶にないのだが、幼くして亡くなった
たしか自動車に跳ねられたのだったと思う??

50銭だか?50円だったか?のお財布事件も、
糸の付いた大小の砂糖菓子の束になったのが有って、束の反対一方の糸を引いて
釣れたお菓子が捕れるのだが、大きいのが当たるまで何本も引いた。
紙縒り(こより)になったくじ引きも当たりが出るまで引いた・・・

子供にしてはあまりの金遣いに?駄菓子屋さんが祖母に注進したからバレ
お巡りさん… の次第となったが、其の時お菓子は、小宮山くんの腹の中になっていた。
其の結末については定かでない?? 懲りて母の財布に手を出さなかった・・・



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