yo-13

 悪ガキ?(寄り道)



小学校と言わず<国民学校>と言った戦時体制下の通学は<集団登校>と云うスタイルだった。

集団登校
と言っても、多分想像も付かないだろうが、イザ?という危険に備えて登校区域が同じ生徒が
誘い合わせて登校するシステムで6-7人で班を編成、自然と遊びグループでもあった。

皇紀2600年>と云う式典のあった頃で、戦争が緊迫してからは<防空頭巾>と云う座布団を
二つ折りにしたような帽子を、親が手作りして子供達に持たせたものだった。
此れは頭にモノがあたったり…主として迎撃用の高射砲弾の落下破片から頭部を守る為だったと思う。

こういう語り口になると… さも緊迫してるようだが、至ってのんびり…のどかなもので、
みんなで帰り道は、のんびり寄り道や悪さをしながら通学をした。
浦和中学の、移転廃校舎の脇の道が通学路だったから、
浦和中学の、移転廃校舎の窓ガラスに石を投げて割って遊んだり、
カラタチの垣根にいる紋白蝶の青虫の、掴むと臭いのをつまんでぶつけっこして騒いだ…

まだ車の往来も至って少なく、自家用車なんてほとんど無い時代だから、
往来のあちこちに、牛糞や馬糞が落ちていた。
屎尿処理が汲み取りの時代で、其の運搬の、大切な動力が牛馬だった。
人力で動かす荷車・リヤカーなんて主要な輸送手段だった。

悪ガキたちは(JIJIガキも?)馬糞を摘んで女の子にぶつけてキャーキャー言わせて大騒ぎして、
翌日先生に言い付けられ…、お目玉を食らった・・・

子供心に、銃後の家(家族の内に出征軍人のいる家)は大事にされ、子供も誇りにしていた。
今から思うと、JIJの父親が兵隊でないのが肩身がせまい思いがあった・・・
まだ、日本も切羽詰ってなかったから、教育関係者の父は、兵役から免除されていたのだと思う。

通学帰りの<玉蔵院>さんは格好の遊び場で、境内の火の見櫓の天辺から肝だめしに
小便をチビッて虹を造った時も、力を合わせて、墓石を三っ程、押し倒した事件も、
集団登校だからみんな見られて、女子生徒○○さんに言い付けられ
おお目玉の挙句廊下に立たされた。 (玉蔵院さん、おそまきながらゴメンナサイ) 
其の時の仲間はもう亡くなった人も居るが、二人は歯科医院々長・産婦人科医院長様
其の馬糞の指で??治療をされてる患者さんは知ら・・・??  (^^;;;




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