yo-15
運動が苦手の筈のわたしだが、砂場に関する思い出が幾つもある。 砂山に釘を仕込んで、加藤くんに怪我をさせた事件も其の一つ。。。 砂山を造って遊んでたJIJI少年に、わんぱく少年の加藤くんが走ってきては踏み潰す。。。 そこで釘を仕掛けて…「ギャーっ!」となって医務室行き・・・ 原田先生に長時間・土下座の大目玉を食った!! 砂場でやった代表的な運動が相撲… それから走り幅跳び、跳び箱、高鉄棒・・・ 年少の子供にとって、勉強ができるコトよりも、砂場で相撲の強いこと、走り幅跳びが強いこと また蹴球(戦時中のサッカーの呼び名)が上手い子供が、尊敬の的になった。 小学校で、転校して来た青木朗くんは、小さいのに相撲がめっぽう強くて 大きい子が、ころころ負かされて、英雄のように見え…わたしは尊敬してた。 なにしろ、ちょいと脚を引っ掛けて倒したり、腰に乗せて投げ飛ばすのだ… 6年間ずっと担任だった原田先生は体育が専門で、鉄棒の<尻上がり>が全員出きるまで 繰り返し教えた。 跳び箱も男女みんな出きるまでやった。 良い経験だった・・・ 長谷川くんのサッカーの足技もずば抜けていて、一人で何人も抜き、何時もゴールが脅威だった。 クラスメート原田あつ子さんの兄さんは、ちびっ子だったけど、韋駄天のように速く 運動会ではみるみる3-4人をごぼうぬきに1等… あこがれだった。 自分が<運動の苦手>故になおさら憧れた。 これらの強い子は休み時間も生き生き駆け回るのが常で、わたしは大抵 おっかなびっくり、付いて廻っていたものだが、中学になる頃から強くなっていった。 鉄棒で軽業的なだるま廻りや金潰しなんて芸当も出来た。 だるま廻りは鉄棒のうえでからだを抱えぐるぐる廻る芸当で、 金潰しも鉄棒にまたがり直角にぐるぐる廻った。 逆上がりなんてのも出来た。 わたしは中学では、バスケット・卓球・鉄棒もやった。 選手にはなれなかったが楽しさを覚えた。 原田先生の<全体教育>のたまものだ。 いまの教育は変に自由すぎるとJIJIはおもうのだが??? |