yo-18

 中学校 敬礼


IJIの卒業した浦和中学校は、いまの浦和高校の前身で、戦後昇格して浦和高校になった。
北浦和駅から徒歩20分程の畑の中、今の場所だが当時は家並みもまばら… 街中に建つ、今のような環境ではなかった。




この話をBABAに聞かせたら笑われた。 訪れる若いビジターさんには<軍国>と馬鹿にされるかもしれない??
でも、ホンとの話だし、JIJIの青春時代の一こまとして語りついで置きたいと思うのだ・・・

想えば<悪夢>なのだが、今の時代の若者には想像も出来ない時代と環境の中で、中学時代を過ごした。
想えば<悪夢>なのだが、戦時下の男子中学生の制服は、カーキ色(別名−兵隊色)の上下で、制帽は戦闘帽。
(註:この頁の地色が、兵隊色-カーキ色です)
編み上げ軍革(靴)に、ゲートルと云う、カーキ色包帯状の布でズボンの裾を止めたスタイルが正式制服だった・・・


わたし達男子学生は、お国のために兵隊になるのは<とうぜん>と思っていたし、優秀な生徒は海兵(海軍兵学校)
陸士(陸軍仕官学校)へ進学するのを<ほまれ>として、疑問に思う人の方が、奇人(国賊)と云う時代背景だったのだ。
確かに恐ろしくてキケンな時代だった・・・
学問や芸術には居心地の悪い時代だった・・・

JIJI青年は、ほんとに夢にもそれを疑問になんて思わなかったし、兵隊に行く(なる?)と当たり前に思っていた。
したり顔に狂気の世界だとか… やたら…批判する識者は、ほんとに時代背景を、理解してるのかな?と思う。

こんな時代だから… 上級生と行き交うとき、相手がチビだろうとなんだろうと、<敬礼!>で挨拶したものだ。
軍隊の組織がそのまま教育に取り込まれていたのだ・・・ 其れから思えば今の若者は仕合せだ


あの組織と時代を肯定するつもりは無いけれど、年長者を敬う精神は、スポーツの世界に受け継がれたように思う・・・
少なくとも、先生をセン公といったり警察官をポリ公と侮蔑する、いまの風潮とは無縁な純粋な世界だった!!

時代は変わったが、純粋さは若者の大切な資質ダ・・・



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