yo-6
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わたしの子供の頃のうらわは、実にのどかだった。 わたしが卒業した<浦和中学>は北浦和にあったが、 記録を手繰れば、わたしの4-5才の頃は、まだ、今さいたま市役所の有る<鹿島台>にあった。 北浦和駅周辺は振興住宅地で、後に、一面のさつま芋畑の丘の上に<浦和中学>は移転したのだ。 後年わたしは中学生になって、其処へ通った。 幼少の頃の記憶⇒ 遠くに見えた森の向こう側が、くぬぎ林や芋畑で、 後年、其の向うの丘を一つ越えた当たりの芋畑のある丘陵に、浦中新校舎が出来たのだ。 森の向こうは「人さらいが出る!」と脅かされていたし、 くぬぎ林にお稲荷さんの祠(ほこら)が有るのだけ知っていた。 昔の武蔵野の面影が残る陸橋の下 いまは本太と云う一帯で、お屋敷街にひらけた… 近くにダリヤの花畑があって、花や植木の地植えが一杯あって簡単な針がねの柵きりなかった。 佐藤紅碌の小説<ああ玉杯に花うけて>の舞台になった頃の埼玉師範と浦和中学の跡地は、 今のさいたま市役所と浦和警察になっている。 わたしが小学校に通うころには、まだ小説のとおり埼玉師範も有ったし、 浦和中学の移転後の校舎も残っていた。 小学校の裏手は、浦和には彼方此方散在した、くぬぎ林と、<貝塚>の跡地にひろがるさつま芋畑と水田… <おおむらさき>と云う天然記念物の蝶も捕れた。 わたしの父は植木が好きだった。 あるとき、父に気に入られたいばかりに針金の柵をくぐって 椛もみじを一本盗んで来た… 子ども心に其のまま渡せば疑われると思い、 家の下の林の中に移し植えて、其処に植木があると父に伝えた… こころがドキドキした なんでそんな木の名前まで知っているのか?というと、まんまと父は騙されて,お気に入りで 今の家に引っ越してくるときも、大事にしてて「たかしが見つけた木…」と言っていたのだ。 わたしは自白も出来ず心が痛んだ。 椛もみじであることも後年知った・・・ 枯れたときには、何故かホッとした。 |