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 名倉なぐら

名倉(なぐら)と云っても、今の人はご存知無いだろう 
いまの整形外科のような病院のことで、打ち身・骨折などの手当てをした。
柔術家>がするアルバイトの病院だったが、もう今は見掛けなくなった。

治療はほとんど、真っ黒い膏薬を貼るのが主体?で、
脱臼などは、たちどころにエイヤッと引っ張って治して呉れた。
骨折には真っ黒い薬を塗った湿布を貼り、当て木をして包帯をぐるぐる巻いてくれた。
石膏のギブスなんて、当時は無かったと記憶する?。

わたしは、小児麻痺だった所為か、運動神経がにぶかったのか、
何回も骨折をして、つきのみや神社脇の名倉常連だった。
 
数えて見ると、腕と脚併せて3-4回は通院した。

もともと骨が弱い性質(たち)なのかもしれない。
其の所為かどうか?BABAに背筋が曲がるのを何時も注意される。

結婚して子供を持ってからも、脚を2回骨折した。もう名倉は無く外科のお世話になった。
一回はまだ娘二人が小学生だった頃、アイス・スケートをしに連れて行って
お手本を見せる… と言ってひっくりかえって足首が折れた。

やせ我慢?して「大丈夫だぁ」と一人でタクシーの拾えるところまで歩き
医者に飛びこんだのだが、「よく歩けたネぇ」とアキレテ誉められた?!
脚を上げられ膝下を石膏で固めギブスされたのだが…
このとき、転倒のショックでパンツが真中で裂けていて
モロ?を見られた記憶ガ恥ずかしい。 
痛々しいからでなく?看護婦が目をそらしてたのだ。

二回目は、テレビ企画者をしていた東映時代、ロケ先の房総の岩場で
飛び降りそこねて、反対側の足首を名誉の?骨折した。
其の時の作品はYKKアルミサッシのコマーシャルで
コマーシャル・フェスティバルの奨励賞を貰ったから名誉の?骨折だ。

又、交通事故で右手首をひどい複雑骨折した。
もう… 名倉と言う商売は消滅していて外科整形外科のお世話になったが、
右手首の中を金属ビスで止める大手術だった。
もう右手で絵が描けなくなるかも??とClick左手描きの訓練をした
幸いなことに元に回復して不自由しない。
少々フルエるのは、歳の所為で仕方が無い・・・
執刀手術して下さった福岡利之先生に、こころから感謝してる。


幼年の有る夏の想い出である。 ⇒正確な年代は覚えていない。
のぶこちゃん家の下の路地に桜の樹が有って其処に登って油蝉を捕ろうと
したのだが、下駄を履いたまま登ったので、樹の又に下駄が挟まって、
頭から逆さに落下した。気がついたら肘から先がぶらぶらしてた

大騒ぎになって、名倉に連れて往かれ、当て木をして三角巾で首から腕を吊った。

其の夏、叔父の家族と一緒に、温泉地で有名な水上(みなかみ)に保養に往った…
水上の温泉が傷に良い… ということだったらしい??
傍の川で渓流釣りする父に、くっついて行って其処で石に蹴躓いて、足も折った。
ご想像になれるとおりの、惨憺たる湯治旅行になつた・・・



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